近所に住む祖母宅へ・・
かれこれ3月くらいからだっけ?
毎日小1時間ほど通っています。
( ^∀^)
理由はアルツハイマーの張り薬と
その他飲み薬を飲ませるため。
そして最近では一緒にお菓子をつまみながら
松葉茶を一緒に飲んでいます( ◠‿◠ )
松葉茶の効果はまだありませんが
(まだ飲んで2週間くらい)
体に良いので継続して飲ませていきます。
今日は戦争の話に花が咲きました♪
先日次男の給食の麦ごはんの日が
増えた話を書きましたが、
その時祖母は、
「戦時中でもこの辺では
そんなことなかったのに・・」
と言っていたのに今日は、
「麦ごはんを食べていた」
(ケロリ)
って言うんですよ・・(笑)
おおーい!!
私はブログ書いてるんだよ〜(笑)
(^◇^;)
当時祖母は子どもだったので
正確な事実かどうかはわからないけど
作ったお米の半分ほど国に差し出していた
ようなので、やっぱ麦ごはんが正解かなあ・・
砂糖はサトウキビを煮詰めて作ったとか
麹を砂糖代わりにもしたと言っていました。
魚は食べていたか聞くと、
家の前の小さな川に仕掛けをして
(入ったら出れない仕掛け)
雑魚を(コイ、ナマズ、フナなど)とって
食べていたと言っていました。
たくさん魚がかかった日には、
近所に魚など調理して売る店があったそうで
そこに余った魚を持っていき売っていたそう。
お肉は滅多に食べられなかったそうだが、
みんな家にはニワトリを飼っていて
卵をとったり、たまーに鶏肉も食べていたそう。
(卵を産まなくなったニワトリを食べる)
小学校に給食はあったそうだが
祖母はお弁当があったので給食は食べず、
お弁当のない人が給食を食べていたとのこと。
(選べるシステムなのか?)
祖母の父が大工の棟梁だったので
(建前の時など)お菓子をもらうことが多く
他の家よりお菓子を食べる機会があって
食べるものには困らなかったと
言っていました。
また祖母の母が料理上手でおやつを
工夫してよく作ってくれたとも
言っていました。
(麹か甘酒で蒸しパンを作ったりとか)
電球に紙だか布だかを被せて
光が外に漏れないようにしたとも
言っていました。
家の敷地の角に父が作った防空壕が
あったそうで、その時は「その中にいれば
命が助かる」と本気で思っていたが
今思うと「あんなもので命が助かるわけない
と思う(笑)」と笑っていました。
街で起きた大空襲の時には、
家を失った多くの人たちが
親戚・知人を頼りに荷車を引いて
ゾロソロと歩いているのを見たと
言っていました。
戦争の話を聞くと昔だから
自給自足をして生活ができていたけれど
今同じことが起きたとしたら
川の魚は臭くて食べられないだろうし
自給自足なんてできる人はほぼいないだろう。
だからなおのこと戦争なんて物騒なものは
起きてほしくないと思う。
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