父方の祖母(今年92)から聞いた
戦争の話。
(私)食べるものはあった?
(祖母)共同の畑があって、自分達で
(野菜を)作っていたから食べるものはあった。
私の父親が大工の棟梁だったから、建前の時には
(食べ物を)もらうこともあったから困りは
しなかった。
食べ物は都市部の方が
困っている人が多かったようだ。
祖母は今で言う地方都市の
郊外に住んでいた。
(私)配給ってタダでもらえるの?
(祖母)タダでもらえるものもあったけど
(基本は)買っていたよ。お醤油とか。
(私)大変だったことは?
(祖母)上から爆弾(焼夷弾)が降ってきたこと。
高校生だった時、学校から言われて
勤労奉仕で農家へ田んぼの手伝いに
生徒みんなで行かされた。
その時(戦闘機が)「くるぞー逃げろー!!」と
言われて。走って田んぼの側の山の中へ逃げた。
そして収まるまでじっと山の中で
隠れていた。怖くて震えが止まらなかった。
〇〇(←地名)大空襲の時には、街に向かう
戦闘機群を見上げて見たよ。
戦闘機の通る道がちょうど自分の住んでいる
ところの上だったから。
まるで後ろの戦闘機の灯りの目印になるように?
次々と爆弾を落としながら街に向かっていたよ。
防空壕へ逃げ込んだけど、
防空壕の中は地震のように揺れていたよ。
家のそばに爆弾が落ちたけど、
家とは逆の田んぼ側に跳ねたから
家が焼けずにすんだ。
学校にいる時、空襲が来て
先生が「家へ帰れ!」と言ったけど
帰っている最中に見つかって
上から爆弾落とされるのが怖くて、
山の中を通りながら(隠れながら)
家へ帰ったよ。
学校(高校)が燃えたこともあった。
その時は勉強じゃなくて、
片付けをしに学校へ行った。
娘時分に(青春時代に)
戦争を経験してしまった。
おばあちゃんは爆弾をくぐり抜けて
生き延びてきたけど、
生きているうちにあんな経験は
2度としたくない。
本当に怖かった。
「おばあちゃんが大変な時代を
生き抜いてくれたおかげで
今の私や私の子どもたちがいる。
ありがとう。」
そう祖母に言いました。
祖母から聞いた話は
大変な経験のごくごく一部だと
思うけれど、
2度と経験したくないほどの
体験だったということを
日本人は忘れてはいけない。
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